ナイチンゲール

看護士を目指そうと思っていないのに看護大学の受験へ

LINEで送る

今日は、妻が夜勤から帰ってきてこんな事を申しておりました。夜中の巡視に行くと、4人部屋の認知症のあるおばあちゃんが、「この人うるさいから、どっかやって!。」と認知症のあるおばあさんに何度も怒鳴っていたため、「それはできません。」と夜に3回も同じことを真面目に答えてる自分にいささか疲れたということでした。これからますます超高齢化社会で、このようなケースが年々増加していくだろうなと思う今日この頃の親父でございます。

はてさて、今日は、私がなぜ看護師になったのかを少しお話したいと思います。当時、男性看護師というのはすごく珍しい存在で、世の中にもあまり知られた職種ではありませんでした。私も、高校3年生の受験シーズンまでは、男性の看護婦という仕事のことは全く知らず、ただただ、当時理系だった私は、将来電子工学の仕事に就きたいと思い4年制大学を受験しようと考えていました。しかし、私は、今振り返ると、母親にまんまとはめられたなと思うような人生を歩み始めてしまいました。

父親の仕事は繊維業で私の小さい頃は、景気も良かったそうですが、皆さんもご存じのとおり段々と中国製の安い商品にやられ始め、私が高校2年生の時に泣く泣く自主廃業となり父親は無職となりました。そのころから母親は、そんなに親しくなかった親戚の看護学校の先生をしていた叔母とみょーに連絡を取るようになり、私が、高校3年の進路指導の時に、急に、担任の先生に「看護学校に行くのはどうしたらいいですか?今からでも間に合いますか?」と質問をしました。先生と私は、当時理系だったので目が点となり、そんな話は母親と一切していなかった私は、とりあえず今後の進路についてはあやむやにしたままその場を取り繕いました。帰宅後、母親は、「お父さんみたいに無職になること考えたら、手に職つけられる看護士の仕事これからはいいん違う?病人は減ることないし。」と話すのですが、勝手に人の人生を決めようとしている母親が許せず、完全に反応せず無視を決め込んだのを今でも覚えています。

それから、母親は、あまり進路のことを言わなくなったのですが、学校では担任の先生に呼び出され、「看護師になりたいなら進路指導室に行って勝手に調べなさい。このクラスは理系クラスだから、文系の進路まで世話することはできへん。私も情報がないし、それを調べる時間があるなら他の子の理系の進路を探してあげる時間にしたいから。」と切り離されてしまいました。完全に家庭からも学校からも孤立化した私は、それでも夢はあきらめられず、同じクラスの友人達と放課後一緒に勉強し、二年生の時のバイトで稼いだ貯金をはたいて、模試を何度も受け、当時私学でしたが4年制大学に合格することができました。その日の夜この結果を両親に見せたのですが、私学の大学費用は高く、電車代も高い、大学を得たとしても就職難で職があるのか、親父の失業で今のプラスティック工場での稼ぎでは生活するだけでやっとなど、色々な理由で完全反対され、一通り反論が終わると、母親が涙を流し、「お願いやからここを受けて看護士になって、資格取って立派な社会人になって。」と看護大学の推薦入試の願書を渡してきました。これなら、奨学金もあるし電車代も安いから何とか行かせてやれると懇願され、嫌なら高校卒業して働いてもらうといわれました。こうなっては、私はどうすることもできず、とりあえず受けるだけ受けてみると返事をし、願書を受け取って翌日学校で記載し、ポストへと人生の分岐点となる封筒を投げ込みました。

今考えると、1年2年バイトをしてお金をためて大学へ行っても全然良かったのにと思えるのですが、その当時の18歳になりたての思考の中には、そのような柔軟な考えは持ち合わせていませんでした。こんな感じで、大学の受験を迎えるのですが、これまたあっと驚くような試験内容で、絶対に合格しないだろうなというテスト内容だったので、受験後絶対落ちる!と内心ウキウキな感じだったのですが、この話は、また後日というこで・・・。

今日はおしまい。

下記にて、手術支援ロボットの将来について記事を書いてます。ご興味ありました覗いてみてください。

おさえておきたい最新医療ニュース 手術支援ロボットの普及と人の暴走について

記事を最後まで読んでいただき誠にありがとうございます。最後に、下記ロゴボタンをポチっとしていただけたら、ランキング上昇につながるのでありがたいです。
そういうシステムみたいですバッド(下向き矢印)

にほんブログ村 病気ブログ 看護・ナースへ
にほんブログ村

看護師 ブログランキングへ

LINEで送る